特集

<5/4放送>ゲスト:木津 毅 (ライター) | 杉山文野(東京レインボープライド共同代表)

#Find Your Colors

InterfmとTOKYO RAINBOW PRIDEがタッグを組み、ダイバーシティ、多様性のある社会が叫ばれる中で、毎回取り上げる様々なトピックスやゲストの方との会話を通し、まだまだ残る、様々な問題を可視化し、本当の意味での多様性と、愛のある社会を目指していく番組「Find Your Colors with TOKYO RAINBOW PRIDE」。

5/4(土)のゲストは、ライターの木津毅さんに、映画『異人たち』についてお話しいただきます。
後半は、東京レインボープライド共同代表の杉山文野さんをお迎えします!

レインボートピックス

世界中から集めた最新のニュースから、話題のイベント、映画、音楽、お店など、多様性のある社会に気づける、理解を深められる、参加できる、そんな様々なトピックスを取り上げて、紹介する「RAINBOW TOPICS」。
ライターの木津 毅さんに、映画『異人たち』についてお話しいただきました。

山田太一が1987年発表した小説『異人たちとの夏』が原作となっている。
1988年に大林信彦監督が映画化しているが、監督にオープンリーゲイであるアンドリュー・ヘイを迎え、再映画化した。
原作とは異なり、主人公はゲイであり、舞台は現代のイギリス。中年ゲイの都会での孤独を描いた作品となっている。
主人公は幼い頃に両親を亡くしたが、故郷の街に戻ったことをきっかけに、幽霊の両親と再会し、子どもの頃にできなかったカミングアウトをする。

THINK ABOUT THE FUTURE

様々な価値観を共有し、よりよい社会の方向性を模索していくゲストコーナー、「THINK ABOUT THE FUTURE」。

今週のゲストは、東京レインボープライド共同代表の杉山文野をお迎えして、前回に引き続き、東京レインボープライド2024の振り返りをしていただきます。
この記事では、東京プライドパレードに参加した当初のブルボンヌさんと杉山文野の心情を抜粋します。

東京プライドパレードに参加した当初の心情

ブルボンヌ :先週、無事成功した、あのものすごい規模になった今年の東京レインボープライド2024のお話を伺いまして、あの冠にもなっていた30周年っていうのは、日本で30年前、1994年に初めてのパレードが開催されて、団体とかは変わったけれども、今年で日本のパレード30周年だったんだよってことだったわけですよね。文野はその頃って何歳だったわけ?

杉山文野 :30年前だと12歳なんで、まだ女子中学生?

ブルボンヌ :文野が自分の問題として、自分は世間で女子とされてしまうことに悩んでいた時期?

杉山文野 :一番苦しんでた時かもしれないですね。カミングアウトもできないし、情報もないしっていう時だったんじゃないかな。

ブルボンヌ :その時って同性を好きな人がいるとか、自分自身が生まれた時に割り当てられた性と自分が感じる性が違うことに関して、12歳の子からすると、もう全く周りに助けてくれる情報がなかった感じ?

杉山文野 :なかったですね。だから、自分が女の子を好きっていう感情があったときに、「これってレズビアンってやつ?いやでもレズビアンっていうのもなんか違う…。自分は男として女の子が好きなんだけど、体は女でなんだろうみたいな。」なんかそういう感じでしたね。

ブルボンヌ :そっか。

杉山文野 :ただ、中学生の時に初めて深夜番組で、おなべバー特集っていうのを見て、「あ、これかも」っていうのが、ちょうど中学生くらいの時です。

ブルボンヌ :何かで情報に触れたぐらい。

杉山文野 :そうですね。

ブルボンヌ :今、ちょうどのおなべバーって言葉が出たけど。今では、放送では言うなといわれている「オカマ」って言葉が、男のくせに女っぽいやつらとして当時のメディアで言われていた単語で、そのオカマの逆だからっていう、相当乱暴なそれぞれの単語だったんだけど。それが当たり前のようにおなべバー潜入とかって、深夜番組でやってた時代よね。

杉山文野 :はい。

ブルボンヌ :まさにその頃に、日本で初めてのパレードがあって。実は今回、自分も30周年区切りで、長いこと九年も東京レインボープライドの総合司会をやらせていただいたから、卒業させていただいた機会だったので、

ラストお花をいただいたときに、せっかくだから30年前の話を語り部のね、おばあちゃんのような気持ちになってさらっとさせていただいた。その時お伝えしたのが、やっぱり自分も、大学生でゲイの飲み屋さんとかには行けて1、2年経っていて「あ、こういう世界もあるんだ」って事はグンと広がっていた時期ではあった。けど、同時に社会に対してこうやってお天道様の下をハチ公前とか表参道みたいな目抜き通りを堂々と「私は同性愛者です。」「トランスジェンダーです」って自分から言って歩いているような状態になれるみたいなことは、当時は全く思ってなくて、本当に無理だって、ドン引きした記憶の方が強烈に覚えている。

杉山文野 :うん。

ブルボンヌ :そんな時代に始めた凄い方がいたんですよね。で、そのね、凄い方。当時、アドンという雑誌の編集長でもあった南定四郎さんが、今回の東京レインボープライド2024先頭を歩かれたわけですからですね。

杉山文野 :はい、先頭を一緒に一緒に歩いてくださって。あの南さんと一緒に歩けたっていうのもすごく印象的でしたし、この30周年だからということで、歴代のパレードの代表の方たちも皆さん駆けつけてくださったりとか

ブルボンヌ :すごいよね。本当。

杉山文野 :はい、あとドラァグクイーンの方も、あのバビ江さんとマアさまとジャスミン姉さんがこう一緒にパレードのフロートのられたりとか。

ブルボンヌ :そうなんですよ。interfmの方には、突然のややこしいお名前かもしれないんですけど(笑)バビ江ノビッチさんはね、以前この番組にも出てくださって、MISIAさんとラジオ番組もやられていたような、日本を代表するドラァグクイーンのねーさんで。その方が、ドラァグクイーン界のレジェンドで、初期のイベントとかにも関わってくださってた方たち。私たちもね、相当もうババア枠で語られるけど、さらに上には上がいるんですよってことで(笑)その辺の人たちもね、いい意味で引っ張り出してくれたりとか、すごくシンボリックな顔ぶれが今年は集まってたんですね。

杉山文野 :あと、個人的にも最初にパレード誘っていただいたのは、2006年に自分の本を出して、その後にあのパレードの先頭歩きませんかっていう話をちょっといただいたんですけど、その当時は「え?なんかそれって同性愛の人たちがやってる、なんか過激なデモでしょ」みたいな。

ブルボンヌ :あ、そうなんだ。

杉山文野 :だから、僕はそのそういう人たちとちょっと違うんでってお断りしたことがあったんですよ。

ブルボンヌ :ああだから今こうしてさ、あれで中枢かのように話し合ってる2人ですら、最初はパレードってものに対して、それぞれに否定的な感情を覚えたって、すごくここも面白いね。

杉山文野 :僕は普通なんでそういう人と一緒にしないでくださいぐらいに思ってたんですよ。その当時は。

ブルボンヌ :そっか。トランス男性として異性が好きなストレートなんだから、同性愛の人たちじゃないんですよ、みたいに思ったわけね。

杉山文野 :そうなんです。だから自分の中にあったったトランスフォビアみたいなのもすごくあったんで、今となっては本当に失礼なことを言ったなと思うんですけど…。

ブルボンヌ :いや、みんなそうなのよ。なんか、いい意味でミイラ取りがミイラになるじゃないけど、そういうね、魔法のようなパワーもきっとプライドってあるんだろうなと思う。

杉山文野 :うん。

ブルボンヌ :私もその、そんなの正気じゃないぐらいに思って、初回を見に行ったらまあ当時に2、300人から始まって、楽しそうだからって沿道から参加者が加わっていってまさしく自分も沿道から見て、あれこれ意外と楽しそうって心が変わった、30年前にね、人だったのでね。

で、実はそのあと色んな団体が東京でのパレードをやって、その団体が終わったりを繰り返しがある時期だったんだよね。それはヒストリーで学んだ感じ?

杉山文野:そういう話しを色んな方から聞いて。でも、それぞれ皆さんお話しされることがちょっとづつ違って(笑)ただ、とにかく色々大変で、開催できる年もあれば、開催できない年もあってと。運営に関わる方たちの意見の違いや社会的な情勢だったりとか、色んなことがあったと思うんですよ。

~プライドパレードの歴史の続きは5月4日のAuDeeにてぜひお聴きください!~


いかがだったでしょうか。

今回の放送が、皆さんにとって「自分らしく」いられるきっかけになっていると嬉しいです。

また次回もお楽しみに♪

この記事をシェアする

X
Facebook
LINE
リンクをコピー