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「点ではなく線」 プライドの歴史をつないでいく 【TRP共同代表鼎談】

写真左から、杉山 文野、山田 なつみ、佐藤 ユウコ

東京レイボープライド(TRP)は、2024年10月1日より新しい代表体制に移行し、9月30日をもって杉山 文野が共同代表理事を退任し、現任の山田 なつみに加え、新たに佐藤 ユウコが共同代表理事に就任しました。

新体制への移行に際し、杉山、山田、佐藤の新旧代表でTRPのこれまでとこれからを語りました。聞き手は、長年TRPを取材してきたジャーナリストの古田 大輔氏です。

初代の退任による世代交代

ー 初代の共同代表の杉山 文野さんがこのタイミングで退任するのはなぜでしょう?

杉山
世代交代については以前から考えていました。PRIDEはみんなのものです。代表が長く続けすぎて個人色が濃くならない方がいいし、活動の継続性を考えると属人化せずに組織として成長していく必要があります。

NPO法人として東京レインボープライド(TRP)を2015年に設立したときに一緒に共同代表になった山縣 真矢さんが2019年に退任しました。その頃から、私も退任の時期を考えていました。

新型コロナ感染症の混乱もあって、予定より少し遅くなりましたが、1994年の日本初のプライドパレードから30年という区切りも迎え、このタイミングになりました。

この間、組織としての体制強化も進み、山縣さんと入れ替わりで共同代表になったez(イージー、山田さんの愛称)も5年間経験を積み、安心して退任することができます。

杉山 文野(NPO法人東京レインボープライド 理事)

杉山さんはどういうきっかけでTRPに関わることになったのでしょう。

杉山
1994年の日本初のプライドパレード以降、新しく団体が立ち上がったり、解散したりが続き、毎年開催することが難しい状況でした。パレードを継続的にやっていこうと任意団体TRPが生まれたのが2011年。翌年からこれまで毎年開催してきました(コロナ禍の2020年、2021年はオンラインでの開催)。

私は2013年にさまざまなイベントをパレードと同時期に開催することで、当事者・非当事者に関係なく参加の間口を広げようという「東京レインボーウィーク」の代表として関わるようになりました。

実はパレード自体にはそれまで距離をおいていたんです。2006年にトランスジェンダーである自分自身の経験を書いた「ダブルハッピネス」という本を出したとき、パレードの先頭を一緒に歩かないかと誘われたのですが、当時の私は「同性愛者の集まりでしょ?」「デモって過激じゃないの?」というありがちな誤解をしており、参加を断ったほどです。

実際に関わるようになり、この活動の重要性に気づいて、2015年にウィークとパレードの活動を統合し、新たにNPO法人としてTRPが誕生する際にパレード側の代表をしていた山縣さんとともに共同代表に就任しました。

2015年4月、TRP2015の様子(写真:東京レインボープライド)

これで設立時の共同代表が二人ともいなくなります。不安はないでしょうか。

山田
共同代表になってからの5年間、文野くんとなんでも相談しながらやってこられたのは安心感がありました。誰がやっても持続可能な組織にしなければいけないというのは、私も同じ想いを持っていたし、そのために何年もかけて準備してきました。

文野くんが代表を辞めたとして、いなくなるというわけではない。不安はないです。

今回、共同代表につく佐藤 ユウコさんはどうでしょう?

佐藤
「共同代表になりませんか?」と聞かれたときは、不安以上に自分のことを認めてもらえたという嬉しさがありました。私が秋田で学生をしていた頃、仲間と夜行に乗って東京のパレードに参加しにきてました。杉山さんの講演も聞いて、エンパワーされる側でした。

LGBTQ+という言葉が世の中に全然知られていなかった頃から、自分たちを勇気づけてくれた存在です。アベンジャーズに誘われたピーター・パーカー(スパイダーマン)の気分ですね(笑)。自分に本当にできるのか、代表になるのであればなにができるのかを考えた上で、引き受けることにしました。

杉山
高い報酬をもらえるわけでもない。いろんな人からいろんなことを言われる(苦笑)。はっきり言って大変な役割です。

これまで何人かに「代表どう?」と冗談っぽく聞いただけでも全員が「嫌です」「絶対無理です」と即答だったのが、ユウコさんだけは違った。その反応も嬉しかったです。嫌だという人に任せるのは申し訳ないし、大変ではあるけれど、やりがいがあることは間違いないので、任せるのであれば意欲的に関われる人に任せたいなと。

佐藤 ユウコ(NPO法人東京レインボープライド 共同代表理事)

「男社会」だった活動の変化

世代が交代するというだけでなく、ゲイとトランスジェンダーという男性ジェンダーの二人から、山田さんと佐藤さんへ、大きな変化ですね。かつては運営も参加者も男性が多いイメージでした。

山田
私が2012年に初めてパレードにボランティアに参加した時は、最初のミーティングはゲイ男性がほとんどでした。今は43人の中心となるメンバーがいて、確かに男性以外のメンバーは増えていますが、「男女比」は正確にはわかりません。

杉山
ノンバイナリーの人もいるし、こちらから聞くこともないので。かつては「LGBTQ+コミュニティも結局は男社会」と言われるぐらい、運営側も参加者もシスジェンダーのゲイ男性が多かった。

私がトランスジェンダーで代表になったのも珍しいぐらいでした。今はむしろ、男性ジェンダーで新しく運営に入ろういう人が減っていることに課題を感じるほどです。

ジャーナリズムの国際的な会議に出ると、すでに参加率も登壇率も男性の方が少ないことが珍しくないです。社会課題の解決に取り組む分野では、課題意識の強い女性の方が多いという話をよく聞きます。

佐藤
私自身は名前や見た目から「女性」というジェンダーで見られがちですが、ジェンダークィアです。どちらかといえば性自認は「they」で、女性として扱われることに対して、違和感はあります。

ただ、自分がこれまで女性として生きてきたこと、まだまだ日本では「女性(にみえる)」だからこそ直面する障壁があり、それを認識し、さらに多様な性への理解を進めていくための自戒のためにも、あえて「she/they」を使っています。

今の会話でもそうですが、どうしてもジェンダーの話は男女二元論になりがちですよね。そうではない人もいるということを、可視化したいと思っています。TRPが「男女比を出せない」という話は、今の時代を示しています。

山田
私がユウコさんが共同代表にいいなと思ったのは、アメリカで育って海外経験が豊富なこともあり、これまでのTRPのメンバーが日本のLGBTQ+にフォーカスしがちな中で、そこに止まらない幅広い視点と課題意識があるところです。

杉山
大学で得た知識やアカデミックな考え方を通じて、問題の言語化ができるということもある。

それと、広い経験ですね。アメリカで育って日本に来て、秋田で学生生活を過ごして、オランダに留学して、学校の先生もして、今は企業で働いている。いろんな経験や当事者性があって、国際的な広がりがあるLGBTQ+のムーブメントの中でバイリンガルとして言語の壁も超えられる。

ユウコさんの存在や経験自体がいろんな多様性が交差するインターセクショナリティを体現しているなと思います。

山田 なつみ(NPO法人東京レインボープライド 共同代表理事)

佐藤さんは日本生まれ、10歳からアメリカ育ち。21歳で日本に単身移住しました。自分の経験をどのようにTRPの活動に役立てたいと考えていますか?

佐藤
私の存在は不安定なんです。アメリカにいると日本人、日本にいるとアメリカ人に見られる。移民で母子家庭でクィアで日本語も英語も中途半端、それをずっとハンデだと思ってました。LGBTQ+の人たちが経験する差別や偏見の構造というハードルだけでなく、いろいろなハンデや障壁があるな、と。

日本に来てコンビニでバイトとして働き始めて、日本語を学んで、旅行会社で正社員も経験して。日本での生活に慣れ始めた頃に、東日本大震災が起きました。震災直後でも東京では、普通に生活して旅行の計画を立てている。被災地の人はまだ仮設住宅で生活しているのに、何もできない自分に疑問を感じて2013年1月に被災地の教育委員会の仕事を見つけて避難所で生活しながら教員補助の仕事を始めました。

どこにも溶け込めない、居場所がなくて自信がないと感じていた私に対して、被災地の人たちが温かく接してくれました。アメリカ育ちとか母子家庭とかジェンダークィアなどの私のいろんな属性ではなくて、「私は私」という魂のレベルで接してもらえるような感覚です。

そうすると、自分の経験が強みにもなると思えるようになった。日本語も英語も、一つの国で生まれ育ったネイティブに比べると劣る、ではなくて、両方の言語をこれだけ使える人、どちらの文化の良いところを吸収できる人は、そんなにいないんじゃないか、みたいに。その体験を通じて、私にも社会のためにもっとできることがあるんじゃないか。まずは学んでみたいと感じて、秋田県の国際教養大学に進学しました。

そこではいろんなことを学びました。これはほとんど誰にも言ってないですが、入学前の私は、男性と結婚しよう、と思っていました。それまでも今も女性やマスキュリンでない男性に惹かれる方だったんですが、男性と結婚することで「日本人」としてやっと受け入れられるんじゃないかと思っていた。田舎の方で24歳ぐらいだとよく男性を紹介されましたし、紹介された人たちもとても良い人たちでした。

でも、大学での学びを通じて、私が感じている違和感は、男女二元論、家父長制度やナショナリズムに対する違和感なのだということを言語化できるようになりました。そういった学びがTRPでの活動にも活きていくと思います。

秋田から夜行バスに乗って、大学の仲間とともにTRP2015に参加した佐藤

活動継続のために NPOの組織化

NPOで初代代表が退任して2代目に引き継ぐのは企業以上に難しいという指摘もあります。

杉山
「代表交代したくてもなかなか替われない」というのはNPO仲間の間でもよく話題になりますが、その要因はいくつか挙げられます。

ひとつ目に、代表が変わるとその想いや求心力が団体に引き継がれないのではないかという懸念です。その為、ここ数年は特に意識して、代表を含む全ての業務が属人化しないよう、ミッション・ビジョンの見直しや、組織体制の改善を行ってきました。

また、そもそも創業メンバーは「この団体の代表である」ということ自体がその人の強いアイデンティティになっているので辞められないということがあり、少なからず私にも同じような感覚があります。LGBTQ+が生きやすい社会にしていきたいという強い想いがあったからこそ大変な時期を乗り越えられたということもありますが、代表が団体を私物化してはいけません。何を解決するかが大事であり、誰が解決するかを優先させてはいけない、と強く自分を戒めてきました。公共性の強い団体なだけに特にです。タイミングが来たら潔く次世代にバトンを渡す、というのも責任者の大事な仕事だと思っています。

他には収入面も大きな課題です。多くのNPOの代表が薄給で仕事量も多い。企業と違ってストックオプションのような創業者利益があるわけでもないから辞めた代表がどうやってその後食べていくのか、そんな状況で手を挙げてくれる次の代表がいるのか。ただ、ここは幸か不幸か、長年TRPの収入だけでは生活費を賄えなかった分、別の仕事もしながら代表を続けてきました。これは山縣さんもezも同じで、結果的に団体がある程度の大きさになった今も、別の仕事をしながら代表業務ができる体制だったので、今回ユウコさんも現在働いている企業の仕事を続けながら代表業務をやっていく形になります。

このようにさまざまな課題はありましたが、今回は数年かけて準備をしてきました。また、ともすれば代表だけが目立ちがちですが、TRPには志もスキルも高い素晴らしいメンバーがいるからこそ成り立っているので、代表が交代したくらいで不安はありません。私自身も引き続き理事として関わり、しっかり引き継ぎもしていく予定です。完全に変わるというより、層が厚くなっていくイメージです。

山田
冒頭で話した組織化を進めてきたというのは、団体内のルール作りを進めたということです。私もボランティアから関わってきたので、気軽に関われる感じも好きだったんですが、継続性を考えると組織として体制を構築して、何にどう取り組むかを明確にする必要があります。

専任職員も2人になり、新しいメンバーも増えてきましたが、ほとんどのスタッフは今も別の仕事をしながら活動に関わっている状況です。その中できちんと組織を整え、これまで各部門や長く携わる個々の力に頼りがちになっていた部分を、組織として方針を示して動けるようにガバナンスを強化しています。

まだ完璧ではないですが、活動の継続性を考えてきたからこそ、ここ数年で組織の運営体制の議論と強化が進んだし、だからこそ、スムーズに共同代表が交代できるんだと思います。

佐藤
私はボランティアとしての経験もなく、ゼロベースで入ってきたんですが、中心となって活動しているメンバーはみんなが長くやっている人たちです。それぞれいろんな意見を持っているけれど、それぞれにもっと良くしていきたいというポジティブな思いが一致している。

みんなの存在が心強いので、心配はしていません。私は私ができることをしっかりやればいいだけだと思っています。

杉山
仮に自分が代表を継続した場合、これまでの10年と同じ熱量とスピード感を持って次の10年を走れるのか、というと正直自信がありませんでした。特に社会変化のスピードが激しい中では、定期的に代表が変わって新陳代謝をはかり、新しい人が新しい熱量を加えてくれた方が団体にとっても社会にとってもいいと思っています。

「文野じゃなくて大丈夫なの?」と言ってくれる人もいます。でも、私も共同代表についたときは経験不足で、肩書きによっていろんな経験をし、肩書きに育ててもらいました。すでに5年一緒にやってきたezもいるし、こうやって共同代表が片方ずつ代表を卒業していくのも良かったと思います。

TRP2024の最終日、ステージ終演後(写真:東京レインボープライド)

急激な成長と「商業化」批判

TRPは任意団体の時代からでも10年余りですが、プライドパレードは1994年8月に東京で開催されて30年の歴史があります。LGBTQ+をめぐる社会環境も変化してきました。その中でTRPは何に貢献してきたんでしょう。

杉山
一番は当事者の可視化です。TRPとして1回目の2012年の参加者は4,500人でした。2019年には20万人を超え、コロナ禍を経て2024年は27万人に達しました。当事者だけではなく、国内外の企業や政治家、行政や各国の大使館、メディアやアーティストや市民団体…、さまざまなステークホルダーを巻き込んでムーブメントとして飛躍的に大きくなりました。

「当事者を可視化し、課題を可視化し、具体的な課題解決に繋げる」ということを思い描いてきました。2020年までは「当事者の可視化」に力を入れ、今は「課題の可視化」と「具体的な課題解決」に移行しているフェーズだと思っています。

日本初のプライドパレード開催から、現在に至るまでの参加者数の推移

急激な成長は予想していたんでしょうか?

杉山
ここも正直に言えば、未来を予想しながら計画的にやってきたわけではなく、ただがむしゃらに目の前のことをやって、気づいたら大きくなっていたという感じです。

ただ、強く意識していたのは、どうやって当事者以外の方々に私たちのメッセージを届けるかということです。さまざまなデータがありますが、仮にLGBTQ+当事者の人口が1割だとして、差別や偏見を解決するためには、残りの9割の意識が変わらなければ当事者の困り事は解決されません。「当事者の、当事者による、当事者のための活動」だけだとなかなかその9割に届かない。

その9割にアプローチするにはどうしたらいいのか、議論を重ねて気づいたのが、「伝える」と「伝わる」の違いです。「伝えたい気持ちが強すぎて、伝わるコミュニケーションになっていないのではないか」と。

例えば、拳を掲げて「我らに人権を!」と声を挙げるのはとても大事です。でも、これだけだと「なんか参加しづらいな」「自分とは違う世界の人たちでしょ」と、まさにかつての私のように誤解を招く可能性がある。

そこで、根本的なメッセージは同じでも、エンタメの要素を多く取り入れ、プロのコピーライターやデザイナーにも依頼し「Happy Pride!」と、全体の見せ方のイメージを「デモ行進」から「フェスティバル」に転換しました。

嬉しい、楽しい、というエネルギーは多くの人を巻き込む力があります。なんか楽しそうだな、とまずは参加してもらうことで人権や私たちのメッセージを知ってもらう機会を増やしていく。

そういった思いから必死に企業や行政にアプローチしていたのですが、それが「LGBTQムーブメントで金儲けをしようとしているんじゃないか」「商業化しているんじゃないか」という批判を招きました。

2017、2018年ごろからTRPのフェスティバルに企業からのブースが急激に増えましたね。この頃から「LGBTQムーブメントのことを良くわからずに参加する人が増え、商業化している」という批判が広がったように感じます。

山田
運営している側からすると「商業化」と批判されるほど大きくなっているという実感が沸きませんでした。参加者数が4,500人から27万人という数字は巨大だけど、運営人数は変わらず30人弱が必死に手弁当でやっていましたから。

2015年に渋谷区で日本初のパートナーシップ制度ができたぐらいから、社会の関心が高まり、当事者に加えて、いわゆるアライの方々の協力が増えました。

それまではこちらから企業に挨拶に言っても門前払いでしたが、急に風向きが変わって、逆に問い合わせが押し寄せるようになり、このチャンスを活かしつつなんとかイベントを破綻させずに成功させようと必死にもがいてました。

その結果、参加する企業数も増え、イベント協賛を受けるだけでなく、企業向けの研修・講演などの取り組みも増えてきました。手応えを感じ始めた矢先に商業化への批判を受け、「なぜこれが批判されないといけないのか」と思うこともありました。

杉山
どんどん巨大化して、毎年新しい問題が起こる。それでも運営しているのは少人数で、当日のスタッフの仕出し弁当を代表が注文していたぐらいです。

それに、企業の多くは、当事者やアライの社員がなんとか社内を巻き込もうと必死に走り周り、TRPに参加することをきっかけに会社を変えていきたいと奮闘していたのが現実です。

急激に大きくなった結果、外からの評価とイベントの実態がかけ離れてしまった。運営側も参加する側もとにかく必死でした。

過去最多の参加者数となったTRP2024の様子(写真:東京レインボープライド)

外にいた佐藤さんにはどう見えてましたか

佐藤
当事者の可視化という面でTRPの果たした役割は本当に大きいと思います。10年前、私が秋田で学生団体を作ろうとしたときは「LGBTって何?」「そんな異常性癖の集まりは団体として認められない」という感じでした。東京よりも地方の方が認識が遅れていたのはありますが、全国的にも急激に変わっていった。

一方で「LGBTQ+権利活動の商業化」というような批判は、日本だけの話ではなく、海外では特に90年代ごろから議論されています。レインボーウォッシュと言われ、形だけLGBTQ+を支援し、経済的効果だけに注目するアプローチは、経済的に有利なLGBTQ+の人々とそうでない人々との格差を広げ、根本的な人権問題の課題解決をしていないという批判です。

TRPに関わる前は、海外の事例を見るとこういう批判は当然出てくるんだから、それに学べば日本ではもっとうまいやり方があるんじゃないかな、と思っていました。ただ、中に入ってみると、この人数でこれだけのことをやっていて、みんながジェンダーとクィアースタディーズの歴史を学んだり、英語の情報や文献に簡単に触れられる機会があるわけでもない。

団体内でも、さまざまな社会的・経済的背景の人がいて、皆さん本業や普段の生活があった上でTRP活動している。みんないろいろと難しかっただろうなと感じました。

杉山
海外のプライドの商業化批判については知らないわけではありませんでした。ただ、他にどういうやり方があったんだろう、という気持ちもあります。「人権」と言っても見向きもされず、むしろアレルギー反応のように拒否される日本社会の現実の中、他のやり方を選んだとして、これだけムーブメントが広がったのか、とも。誰よりもLGBTQ+当事者のためにと、自腹を切りながら必死で行っている取り組みが「金儲けのためにあいつらは魂を売った」と、当事者から批判を受けるのは本当にしんどかった。心身ともに疲弊して離脱していった仲間もいました。

もちろん、僕たちが完璧だったわけではないので、自分たちが足りなかったところはきちんと向き合い、改善すべきところは改善していかないといけないと思います。

山田
ほとんどのメンバーは、自分の仕事をしながら、TRPの活動を行っています。プライベートの時間を使って、この活動をより良くしたいという情熱で取り組んで、頑張りすぎてしまう。それでも厳しい声やご指摘をいただいた時、上手に自分自身とメンバーのメンタルヘルスを守れるようにすることは代表としての大切な役割です。

できるだけメンバー間のコミュニケーションを深めて、お互いの思いをシェアするようにはしてきましたが、コロナ禍の間は直接会うことも難しくて悩んできました。

杉山
これだけ大きなイベントになった今でも、親にはTRP運営に入っているということや当事者であるということを言えないというメンバーもいます。メンバー登録の緊急連絡先には親族の名前を入れられない、という人もいる。そういう一人ひとりの生きづらさを変えていきたいです。

(写真:東京レインボープライド)

可視化から課題解決へ

TRPとしての課題は抱えつつ、当事者の可視化は進んだ。文野さんが言った課題の可視化と課題の解決はどうでしょう。

杉山
課題に関するルールが変わらないと根本的な解決はできません。婚姻の平等、差別の禁止、性同一性障害特例法の緩和。この3つの法制化が重要です。TRPとしては文化も制度もその両方がしっかりと良い方向に変わっていくよう、社会を後押ししていきたいです。

ただ、TRPとして法律などの政治に関わるトピックについて発信できるようになったのは、ごく最近のことです。法制化や政治に関係することについては敬遠するメンバーもいました。「TRPというフェスだから応援しているんだ。法律や政治は関係ない」という声です。

LGBTQ+の課題は人権の問題で政治とは切り離せないし、課題を解決するためには法律の話をせざるを得ないという認識はTRPの中でも徐々に浸透していきました。TRPの毎年のスローガンやメッセージを見ていくと、その変化がわかると思います。

TRPのテーマの変遷

佐藤
同性の婚姻で言えば、アメリカでは2004年にはマサチューセッツ州で認められ、これは人権の問題だということは随分前から意識されていました。日本に来て、新宿2丁目で一緒に遊んだ当事者の人たちが「ひとさまを騒がすようなことじゃない」と人権を主張しないことに驚きました。

人権や法の平等・公平性に関して、声を上げたがらない。これはTRPやLGBTQ+というよりは、日本社会全体の課題なんじゃないかと思います。市民が声をあげて自分たちの権利を勝ち取ってきたことが少なく、そういった歴史は学校などでも扱われない。

教育の中でも、「立場が上」の人に対して逆らわないように教育されているので、間違っていると思っていても声を上げられない。でも、世代が若くなるにつれて変わってきているとも感じます。人権や環境、インクルーシブであることに非常に敏感で、発信力があり、議論をできる世代が育ってきていると感じます。

山田
私がボランティアとして関わり始めた2012年に、前共同代表の山縣さんが「活動を始めた頃は10年ぐらいで同性婚ができるようになると思っていたけど、15年やっても変わらない。でも、10年後にはできているといいね。そのために一緒に頑張ろう」と話していました。

しかし、あれから12年経っても法制化していない。世論調査を見ると、この10年で支持する人が多数派になり、社会も変わってきた。法制化はぜひ実現したいです。

杉山
法律の話をすると「特定の政党やイデオロギーに近づこうとしているんじゃないか」と誤解する人もいます。イベントには多くの政治家も参加され、これは大事なことですが、団体として特定の政党に偏るようなことはしません。

その上で、みんなが生きやすい社会を作っていくために声をあげていきたいと思っています。

(写真:東京レインボープライド)

積み重ねの上に、より広く・深い活動へ

課題の解決に向けて、具体的にはどのような計画があるのでしょうか。

山田
ウェブサイトで公開した新しい組織図を見てもらうと、私たちが目指す方向性が見えてくると思います。

東京レインボープライド 組織図(2024年10月1日現在)

これまでプライドパレード&プライドフェスティバル運営を中心とした組織体制でしたが、実行委員会として1つに集約し、新たにアドボカシー部門、事業創生部門をつくりました。

アドボカシー部門では、具体的な課題解決を目指すために、国内外のさまざまな団体・企業と連携し、ネットワークを活用した調査研究、情報発信、提言活動を目的に作りました。

事業創生部門では、「教育・啓発」「芸術・文化」「コミュニティ」「ウェルネス」の視点から、TRPのビジョンでもある課題の可視化、場づくり、課題解決ができるような活動を現在検討しています。

世界的なプライドマンスである6月に新たな活動の機会を作っていく、さらには東京だけでなく日本全体でPRIDEの活動を盛り上げる年間を通した新事業を広げていきたいと思っています。

そのためには、協賛や寄付がさらに必要です。これまでのように企業にブースを出してもらってそれぞれの取り組みを紹介していただくのはもちろん良いことなのですが、その場合、主役が企業になってしまいがちです。例えば、TRPとして講演会やセミナーを開いて、その後援に入ってもらうなど、主役をLGBTQ+にする形で支援していただくような方法を模索していきます。

佐藤
世代交代の話でありましたが、NPOはリーダーが抜けると、勢いがなくなったり、組織が解散してしまいがちです。今後は有志の集まりから、より戦略的な組織に進化したいと思っています。

運営に関わるメンバーがここで経験を積むことで、キャリアアップにもつながるような組織にしていきます。超人アベンジャーズの集まりから、みんな一人ひとりが近所を守るヒーローに育っていくようなイメージです。

TRPに集う仲間は情熱的で頑張り屋です。その人たちがここでイベント運営やプロジェクトマネジメントを経験して、TRPを卒業しても別の組織で活躍するような未来にしていきたい。

それと、やはり人権を扱っている団体の特性から、皆さんすごくモチベーションが高いです。当事者やアライは、自分の体験や友人、家族、知人のために、より良い社会にしていきたいという強い思いがある。その切迫感はモチベーションになりますが、バーンアウト(燃え尽き)にも繋がります。体と心のバランスをうまく保ち、それぞれのウェルビーイングを大切にしながら、前向きに活動できる組織でありたいです。

また、法的整備だけでなく、根本的な人権問題にしっかりと取り組んでいける組織にしていきたいです。そのためにも、まずはTRP運営メンバーの知見や意識を高める教育機会を増やします。「人権を扱うイベント」であるTRPに協賛してくださっている企業にも、改めて人権問題について向き合う場所や機会を提供していきたいです。

杉山
この約10年、LGBTQ+をめぐる社会もTRPも目まぐるしい変化がありました。うまくいかなかったことや課題はたくさんありますが、良い方向に進んだこともたくさんあります。でも、その成功体験にあぐらをかかず、失敗は失敗として謙虚に振り返り、変化していってほしいと思います。

私自身もTRP代表という肩書きが外れて、今後に不安がないわけではありません。でも、またゼロから新しい自分にも挑戦していきたい。学生時代のユウコさんが私のことをそう思ってくれたように、私たちの活動や人生が誰かのロールモデルになれたら嬉しいですね。

4月に行われたTRP2024では、1994年の日本初のプライドパレードから30周年を記念して、当時の運動をリードした南定四郎さんと一緒に先頭を歩きました。南さんは93歳。僕が42歳。パレードを終えて代々木公園に戻ってきたら、3才と5才になる私の子ども達が会場を走り回っていました。

その光景をみながら、こうやってつながっていくんだな、と感じました。自分たちの活動は自分たちだけのものじゃない。先人たちの歴史的な積み重ねに連なるもので、そこに自分たちの分も積み重ねて次につないでいく。点ではなく線。これまでつないできた人たちへの感謝を忘れずに進んでいきたいです。

TRP2024のパレードには、過去最多の15,000人が参加(写真:東京レインボープライド)

鼎談取材を終えて

私(古田)が最初にプライドパレードを取材したのは、新聞記者をしていた2007年。当時は社内でも「それ何?」「その記事は必要?」と言われ、上司の理解を得るのに苦労しました。

今では多くのメディアが毎年開催される東京レインボープライドを取り上げ、LGBTQ+の存在の認知は広がりました。連続開催が難しかった時代から、10年余りで27万人が集う規模に育てたTRPの功績は非常に大きかったと言えるでしょう。まさに「当事者の可視化」です。

今後は「課題の可視化、そして解決」へ。アドボカシーや事業創生部門を作って、広く深い活動に取り組んでいくことはTRPにとって新たな挑戦です。

組織化が進んだとはいえ、専任スタッフの一人、田実さんは「成熟したわけではなく、企業で言えばスタートアップ」と話します。その言葉は、現状の素直な認識というだけでなく、スピード感を持って進化できる組織でありたいという気持ちの現れでもあるでしょう。

鼎談中、さまざまな課題や困難について話していても、新旧共同代表の三人からは楽観的な空気を感じました。

「未来はよくなる」と甘く考えているからではないでしょう。そこにあるのは「未来をよくしたい」という想い、「私たちならできるはずだ」という希望です。

杉山さんが言う「点ではなく線」は、そういう意志を持った人たちがつなげていくのでしょう。

文・聞き手=古田 大輔
写真=川島 彩水

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