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TRP共同代表 杉山文野(ふーみん)

東京レインボープライドの10年を振り返る。過去・現在・未来。
TRP共同代表 杉山文野(ふーみん)

「東京レインボープライド(TRP)」を10年近くにわたりまとめてきた、TRP 共同代表理事の杉山文野。実は、2012年に代表になるまで、1度もパレードには参加したことはなかったそう。そんな杉山がなぜTRPに関わり続けてきたのか、彼が見続けてきたTRPの過去・現在、その先の未来とは?



気がついたら代表になっていた。その頃はこんな大ごとになるなんて想像もしていなかった。

── TRPに参加したきっかけを教えてください。
そもそもは、2007年に「『東京プライドパレード』の先頭を歩きませんか?」と声をかけられたこと。その当時は、恥ずかしながらプライドパレードの存在を知らなくて、今ほどLGBTQ+の言葉が浸透していなかった時代なので、僕からすると、同性愛者の人たちの過激なデモという印象で、トランスジェンダーの僕には関係ないものと捉えてしまっていました。当時は大学院を修了して間もなかったこともあり、「トランスジェンダー」である自分が抱える体や心の悩みは個人の中でしか課題意識がなくて、社会の中でどういう課題があるかということには結び付いていなかった。なので、「僕はちょっとそういうのとは違うんで・・・」と断ったのを覚えています。

その頃のプライドイベントは、資金面や運営面などからなかなか継続的に開催できずにいたため、継続開催を目指して立ち上がったのが、2011年の任意団体「東京レインボープライド(TRP)」です。そこから今日まで毎年プライドイベントが開催されるようになりました。

2012年にTRPとして初のパレードが開催されて、翌年の開催に向けて「もっとパレードを盛り上げるにはどうしたらいいのか」、それこそスポンサー企業はどうやって集めたらいいかという相談が、当時広告代理店に勤めていたゴンちゃん(注:NPO法人グッド・エイジング・エールズ代表 松中権氏)にありました。

その当時は、1日だけの開催スタイルで、当事者が参加するにも企業がスポンサーするにもハードルが高かったので、敷居を下げる必要がありました。そこで「ゴールデンウィークをレインボーウィークに」と題して、フェスティバルウィークを作り、スポーツのイベントだったり映画祭やシンポジウムなど、当事者もそうでない人でも楽しく気軽に参加できるイベントにしたらどうかというアイディアが出ました。それで、「東京レインボーウィーク」が誕生したわけです。その時にゴンちゃんから「代表は文野がいいと思うんだけど、どう?」って言われ、「あんまりよくわからないけど、なんかできることあったらやるよ」と言ったことから、関わることになりました。

── いきなり代表として関わることになったんですね?
なんで僕が代表なのか聞いてみると、「ゲイコミュニティは歴史が長いし、その分しがらみもたくさんあって、新しいことをするのにもなかなか前に進めない」と。だから「ぽっとでのトランスジェンダーが代表になって、いろんなものをトランスして超えていくみたいなのもいいんじゃない?」「文野は八方美人だから他の人と喧嘩しなさそうだし」って(笑)。1度もパレードに参加したことない僕が、気がついたら何もわからないまま代表になっていました。その頃はこんな大ごとになるなんて想像もしていなくて。

── 代表になってから、特に取り組んだことは?
レインボーウィークの方向性を考える中で、当事者が「われわれに人権を!」って叫ぶシリアスな活動はもちろん大事なんだけど、残念ながらこれだけだとなかなか社会には伝わらない。なぜなら、仮に当事者が人口の1割だとして、その人たちを取り巻く9割の人たちにこそ、LGBTQ+の存在を知ってもらわないと世の中は変わらないから。そのために、よりポップで明るいビジュアルやコピーを採用したり、誰もが親しみやすく参加しやすい雰囲気作りを大切にしました。

── 新宿二丁目のバーへも一軒一軒挨拶に回ったそうですね?
これまでLGBTQ+コミュニティを築き上げてきた人たちの存在なくして、新しい活動はありえません。アジア最大のLGBTQ+タウン「新宿二丁目」には、バーをはじめとして関連するお店が400軒近くあります。「全軒は回れなくても、新宿二丁目振興会に加盟しているお店は最低限回ろう」と言って、「今度、東京レインボーウィークというイベントをやります。是非ご協力をお願いします」と150軒近くに挨拶にいきました。好意的な人もいれば、「レインボーウィーク?そんなん関係ないから」って言われたり。いろいろな人たちがいることを肌で学びながら、輪を広げていきました。何も知らなかったからこそ、図太くいけた部分もあったかもしれません。LGBTQ+とひとことで言ってもいろんな人がいる。多様性の中のさらなる多様な存在に早い段階で気がつけたことは大きかったです。そういう方たちをないがしろにしたら、プライドイベントはできないんだなっていう感じだったかな。



新しいことにどんどんチャレンジする僕にブレーキをかけてくれたのは山縣さん。今は、僕がしっかりとブレーキをかける役割になった。

── そのあと東京レインボープライドの共同代表理事として、山縣さん(元東京レインボーパレード 代表、元東京レインボープライド 共同代表理事)との二人三脚でしたね?
山縣さんが代表を務めていたプライドパレードを運営する「東京レインボープライド」と、僕が代表を務めていたフェスティバルウィークを行う「東京レインボーウィーク」の2つの団体が、2013年から一緒にイベントを盛り上げてきて、2015年に2つの団体は統合し、NPO法人東京レインボープライドになりました。

その統合も大変でした…。レインボーウィークは7人のコアメンバーでやっていたけど、実際統合して残っているのは僕だけです。というのも、パレードをやってきた東京レインボープライド側からすると、新しい団体に飲み込まれるんじゃないかっていうイメージがあったみたいで、いろいろなところでぶつかったりしました。団体ロゴひとつとってもどっちのものを使うのかとか、当時トビーというマスコットキャラがいたんですが、トビーを使う使わないというだけで何回MTGをしたか…(笑)。僕も生意気だったところもあったと思うし、当時は人の入れ変わりも激しかったですね。

その中で、山縣さんとはたくさんぶつかったけど、一番信頼できる存在でもありました。なかなかの頑固おやじでしたけどね(笑)。僕たちに共通していたのは、どんなことでも「コミュニティにとって一歩でも前に進む可能性があるなら、まずはやってみよう」という考え方。

LGBTQ+コミュニティでの活動が長かった山縣さんからは、いろいろなことを学びました。こういった活動を共にする仲間の中には、「文野みたいな新参者の言うことは聞きたくないよ、けど、山縣っちゃんが言うなら頑張るよ」という方もいましたし、その逆もあったのではないかなと。2015年に2つの団体が統合し、世代もセクシュアリティも違う山縣さんと僕がTRPの共同代表理事になったのも、バランスが取れていてよかったと思います。山縣さんは「次のバトンを渡す、次世代が現れたらいつでも引き継ぐ。それまでは自分がやる」という考えだったので、2019年に現共同代表理事のezにバトンが渡されました。

山縣さんが抜けるまでの僕は、割と新しいことにどんどんチャレンジするタイプ。一方で、良くも悪くもブレーキをかけてくれたのは山縣さんだった。山縣さんが抜けてからは、僕がしっかりとブレーキをかける役割になりました。最近では、山縣さんに教えていただいた、何を大切にすべきなのか、どこに向いていくのか、ちゃんとコミュニティのためになっているのか、長くTRPに関わってきたものの責任として、ちゃんとそういうことを次世代に伝えるのが大事かなって思っています。

── プライドパレード&イベントは、以降多くの方が参加する一大イベントに。心が動かされる原動力は?
多くの人たちが来てくれたのももちろん嬉しいんだけど、社会が変わっていく姿をいち当事者として実感する場面が増えてきて、「関わってきて良かったなー」って思う瞬間があります。

自分が普段生活する中でも、トランスジェンダーであることが受け入れられつつあることが嬉しい。例えば、自分に子どもが生まれて、病院や役所に行く時にいろいろ不安もあったんだけど、窓口で「僕たちはこういう状況なんです」と言うと、「あっそうなんですね、トランスジェンダーなんですね」って理解を示してくれる。たった数年前まではありえなかった状況です。このようにスムーズに話が済んだ時に、社会が変わってきたって実感することがあって、いち当事者の自分も勇気づけられています。



この国ではじめて自分たちの将来を考えていいんだと思えた。

── 世の中の意識が変わったというのはどのあたりから感じましたか?
渋谷区と世田谷区で日本初のパートナーシップ制度がスタートした、2015年かな。制度ばかりが注目されがちだけど、何が一番変わったかというと、それまでは「LGBTQ+はいない」という大前提で作られてきた社会の前提条件を行政が覆したこと。そこからぐっと、LGBTQ+やTRPへの社会的な注目度が変わってきたのを感じました。学生さんの言葉で、「今のパートナーと将来パートナーシップを取るかは分からないけど、この日本で自分たちの将来を考えていいんだとはじめて思えた」というコメントを聞いて、次世代の未来を作っていくことの大切さを改めて感じました。

イベントが華やかになっていくとポジティブな反応がある一方で、「商業的ではないか」と当事者の方たちから批判があったのも事実。これまで差別、偏見を受けていた当事者からすると、フレンドリーな社会や企業が増えていくことに対して「今まで目を向けてこなかったのに急に手のひらを返して」という感情がありました。それこそ自死で多くの仲間を失ってきた現実もあるので、受け入れ難かったんだと思います。「TRPはそれで金儲けをしているのではないか?」とまで言われ、「当事者のために」と思ってやってきたことが当事者の人たちからも批判されるというのは、結構しんどかったりしました。2017年くらいまでかな。TRPにとっても大変な時期だったと思うんだけど、そこから社会が一気に前に進んだ気がします。

けど批判的な人たちがいけない訳ではなく、当時は、当事者にとってそう思いたくなるような背景がありました。保険や住宅ローンなど当事者に配慮した商品やサービスが登場するなど、具体的に社会での変化が生まれ、一歩ずつ前へ進んでいったんじゃないかな。

その時に感じたのは、多様性って簡単にいうけど多様な人たちの意見って多様すぎてまとまらない。そんなジレンマのなかで一つのイベントを作っていくときに、「誰かが120点で満足していても、他の誰かがマイナス120点で泣いてるってのはやっぱりいけないな」と。みんな80点とか、もしかしたら30点かもしれないけどマイナスの人を産まないことが大事なんじゃないかなと。だから、TRPではいろいろな意見を聞いて、「その中の落としどころはどこなんだろう」っていうのを常に考えています。



オンラインをやれたのは良かった。けれど、何とも言えないHappyな空間が代々木公園にはある。

── 2020年の新型コロナウイルス感染症拡大は、TRPのイベントにも大きな影響を及ぼしました。
代々木公園でのTRP2020のイベント中止は、初めてのことでどう決断していいか分からず本当に大変でした。けれど、コロナ禍になるまでは、オンラインイベントをやらなきゃと思いながら、それまでリアルなイベントの方にばかり目が向いていて、なかなか手が回っていなかった。オンラインをやらざる負えないって状況に追い込まれたときに、たくさんのアイディアが出て、新しい可能性が生まれました。日本全国からだけでなく、世界からも参加してくれて、「今までパレードに行きたかったけどなかなか行けなかった」「病気で物理的にベットから出られません」「行くとカミングアウトみたいになっちゃうんじゃないか」と悩んでいた人たちまでが、オンラインで参加できるようになった。



── 今年は3年ぶりの代々木公園での開催ですね??
代々木公園で開催するTRPのあの何とも言えないHappyな空間。年に一度足を運ぶことでもらえる勇気とか「自分は一人じゃないんだ」っていうことをしっかりと感じて、胸を張って歩くと、それだけで一年分のエネルギーを持って帰れるという人たちも大勢いる。だからリアルな場所ってのは改めて大事だなと思っています。

TRPのリアルイベントは、当事者以外の人たちにも、「楽しむことで、知ってもらうことができる大切な場」だと思っています。LGBTQ+のことはわからないけど、楽しそうだから会場に足を運ぶのだっていい。

今の時代は、スマホ1台あれば、世界中の情報がどこででも手に入るから、それで知った気になっちゃうけど、全然わかってないことってたくさんあるんだよね。ネットで見たLGBTQ+を肌で感じる、リアルにその場所に行って体感してもらうことが、社会全体の理解度を変えていくんじゃないかなと思っています。

僕が今までで嬉しいなーって思ったシーンは、自分の親を会場に連れてきてくれた当事者の方。LGBTQ+のことをあまり理解していないけど自分の大切な人を代々木公園に連れてきて、それがきっかけで関係性が少しづつうまく回り出したという話を聞いた時。理解がない方、自分には関係ないという方にこそ来てほしいなと思っている。


── これからのTRPはどのような未来に向かっていくのですか?
TRPのような団体がいい意味でなくなる時代がくることが究極の目標。多様性のお祭り、楽しいだけのイベントになる日を目指したいけど、そのためには、解決していかなければいけないことがたくさんあります。

マイノリティの課題って誰の課題なのかっていうところがある。僕もセクシュアリティでいえば少数派だけど、他のことに関してマジョリティに属している部分もある。誰だってマイノリティ性があるのだから、マイノリティの課題に向き合うことはマジョリティの課題に向き合うことだし、マイノリティにとって優しい社会はマジョリティにとって優しい社会なんだと。だから「LGBTQ+だけでなく、すべての人が前向きに楽しく生きていくことができるHappy!な社会」というTRPのモットーはこれからも大切にしていきたいと思っています。

社会の変化とともに社会課題も複雑に絡み合って、もっと苦しくなってる人たちもいる。マイノリティの中のさらなるマイノリティの声を大事にしながら、さまざまな課題をしっかりと解決できるような社会を創っていきたい。TRPを通じて、僕もその一端を担えたらと思っている。

── 今のTRPはどんな団体ですか?
メンバーはみんな本当にすごいですよ!(笑)。 僕だけでなく、TRPのメンバーって何でそんなにモチベーションがあるのってよく言われるんだけど、会社に勤めながらこの活動をしている人がほとんどなので、そのエネルギーはどこからくるんだろって、僕自身もすごいなって思っています。

イベント直前は本当に忙しくて、ピリピリすることなんてしょっちゅうだけど、自分の持ち場は絶対死守!っていうプロ根性がすごくって、結果的に本番ではいいチームワークを発揮する。毎年イベントが終わるたびに、いいチームだなって感動します。

あとは、TRPには多様な意見があって、議論をちゃんとするところがいいなと思っています。議論することは良いことだけじゃなくて大変なこともあったり、当然意見が割れることもあって。でも、どんなに時間がかかっても意見を言い合って解決するまで話す。話し合うことから逃げない。僕たちも多様性と言いながらその多様な意見が偏ってないか、自分たちだけに都合のよい議論になってないか。そういうことをちゃんと意識しているメンバーなんだよね。僕は、TRPのメンバーが大好きなんだけど、友達や同僚とも違う、他になかなかない関係性だなって思っている。

個性的なメンバーがたくさんいてとにかく面白い団体です。もし、TRPに興味あって参加してみたいと思っている人がいるなら、気軽に関わってほしいなって思っています。TRPに関わることで、本業にもまた新しい視点が見つかって面白いんじゃないかな。興味がある人はカジュアルに参加してみて欲しい、と言いつつ、カジュアルって言ってる間に、どっぷりハマってくみたいなことがあるのがTRPの魅力です(笑)。



杉山文野(ふーみん)
特定非営利活動法人 東京レインボープライド 共同代表理事

2013年、TRPの前身である東京レインボーウィーク代表に就任。2015年NPO法人東京レインボープライドの設立を機に共同代表理事に就任。TRPの活動の他、日本フェンシング協会やJOC理事も務める。日本初の渋谷区・同性パートナーシップ条例制定に関わり、現在は父として子育てにも奮闘中。

インタビュー:Ai(TRP)、Kensaku(TRP)